新幹線が
オリンピックに合わせて出来たというのは後で知りましたが、これを境にいろんな事が
急に忙しくなった気が今となってはします。そんな世の中の大きな渦の中で僕は自分な
りにオリンピックを楽しんでいました。進学校と言われる中学に入り(これは単に引越
してきたから)これからの世の中、学力だ!なんて先生ばかりで窮屈な思いをしていま
した。そんな中でオリンピックの期間中僕は毎日オリンピックゲームなどというものを
考案して、学校へ持っていきました。例えば、プラモの自動車のタイヤを重量挙げのお
もりに見たて両手が可動する人形に持たせ、それを自分の手で振って上で止まれば成功
(同じ大きさのタイヤを左右対称に増やしていく)、工作用の1cm位の角材を両方に
立てて(高さは50cm位)真ん中から上に5cm間隔で止めを付けて、そこに横棒を
置く。そうです棒高跳びであります。これも、それなりの人形に鋼の細い棒を持たせて
弓のように下から飛ばして成功を競うものや、毎日何かを考えてきました。休み時間は
僕の机の周りに男子生徒が集まってきてワイワイやっていました。真面目な女子生徒は
面白い訳がなく、先生の耳に入るのであります。(続く)