駅前ユニーが
建つ前にバッティング・センターがあつたというのを知ってる人は少ないと思いますが、その
前は広場でした、そこには鉄棒や砂場があり子供達の遊び場でした。釘刺しや、かごめ、だる
まさんが転んだ、etc・・暗くなるまで遊んだものでした。アイス工場の資材置き場にもなっ
ていて、当時流行ったのが銀玉鉄砲でした(水鉄砲位の大きさで上の部分をスライドさせてそ
の中に5ミリ位の銀玉を20〜30個入れてそれを打ち合う)。せこい奴がいて打った玉を拾
い集めて箱に詰めていた(俺だ!)。隠れる場所がたくさんあって、当たってもそんなに痛く
はないし男の遊び!という感じでした。当時は、2B弾にしろ、導火線がついている小さなダ
イナマイトにしろ今思えば危険な遊びをしていましたが、火傷をしたり痛い思いをして子供達
なりに加減をしたりルールをつくっていました。その痛みが相手を思い遣るということにも繋
がっていたのだと思います。