両親とも
長野県出身なので、父の実家のある大町市や母の信州新町へはよく連れて行かれました。
あの頃はまだ蒸気機関車で、トンネルでは窓を閉めるように言われたものです。あの匂い
はまだ記憶の中に残っています。大町まで2回の乗り換えで糸魚川のホームで食べるソバ
が、冬、特においしく感じたものでした。山を挟んだ二つの県が僕の人生に大きく関わっ
ています。小学4年の頃、母の妹(おばさん)の家に遊びに行った時、その家は藁葺きの
囲炉裏のある広い農家で冬の寒さに‘もう帰る’と言って母を困らせたものです。そんな
僕を、いとこ達はなぐさめてくれました。年も近かったせいか父や母の実家よりもおばさ
んの家に、それから毎年行くようになりました。男の子3人兄弟で僕の2才上、1才下、
そして市電通学に出てきた6才下の子で、姉しかいない僕には格好の相手でありました。
何よりも田んぼで働くというのが新鮮で、あたりまえのように手伝っているいとこたちが
大人に見えていました。(続きます)