これまた少ない父と母の
2ショット、西中野にて。
大正生まれの父は
戦前、一座を率いて東北などを回っていたそうです。芝居あり漫才
ありそして父のバンドとバラエティーにとんで喜ばれたのでしょう。
そして戦争の時代へと進んでいく訳ですが、父への国からの命令は
慰問団として戦地へ行くように命じられたそうです。青年だった父
は複雑だったのでしょうが兵士として行っていれば亡くなっていた
のかも知れません。そうすると僕も生まれてなかったし、音楽で救
われたといえるかも・・。そして戦後、父は母と知り合う訳ですが
母は終戦時18才、父は15上の33才でありました。その二人の
いきさつはまた次回ということで・・・続く。