天狗の頃

  1980年(昭和55年)

        店を改装してお客さんも増え、コンサートもいくつかやって L P も発表して、富山の

       アマチュアミュージシャンのリーダー気分でした。周りにチヤホヤされてすっかりその

       気になっていた時に、有線から聴き慣れない歌声が流れてきました『親不知情景』です。

       富山にもこんなすごい奴がいるんだ、と自分が今まで片手間にやってきた(地方だから

       こんなもんだろうと)事を根底から揺るがす、すごいショックでした。と同時に頼もしい

       奴が現れたと嬉しさも感じていました。きっと『親不知情景』の事をいうと、やめてくれ

       というと思いますが素敵な作品で完成度も(僕からいうと)すごいのですが、彼はそれを

       ひとつのステップとして次に向かっていました。縁あって店に顔を出すようになり、国鉄

       (当時は)の仲間もたくさん連れて来てくれて盛上がったものです(なぜか彼がくると忙

       しくなる、今でも)。伊藤敏博、もうこの後はみなさん御承知のように、ポプコングラン

       プリから現在も歌人として活躍しています。その位置に満足する事のない、前記の‘ひと

       つのステップ’という彼のスタンス、僕は応援していきたいと思います。

 

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